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歴史・人間学・古典

2018.07.31

ナンバー2の心得(16) 忠僕にも決断の時あり

指導者たる者かくあるべし

 後ろ盾を失ったら動け

 権勢を誇った田中角栄の求心力が衰えた時、田中派ナンバー2の二階堂進のクーデター計画は水泡に帰し、ニューリーダーの竹下登は静かなる田中派乗っとり作戦を成功させ、総理総裁に上り詰めた。

 その竹下の二階堂評がある。田中は二階堂をどう見ていたか?と問われ、「便利屋と思っていた。忠僕であることは間違いないな」

「ほんとうに二階堂さんは、『人生の目的、田中内閣、趣味、田中角栄』ですから。その人生観に徹しておりましたからね」

 その趣味にたとえるほど信奉していた田中角栄が脳梗塞で倒れて政治的求心力を失ったときに、天下取りに動けたか、動けなかったかが、その後の二人の明暗を分けた。

 

 悲劇の忠僕、柴田勝家

 つい30年前の政治劇を書きながら、戦国時代のある武将、柴田勝家のことを思う。

 織田信長の父親の代から織田家に仕え、信長からも絶大な信頼を得て、その天下取りの戦略においては、北陸方面軍を任された重臣である。彼の人生が流転をはじめるのは、尽くしに尽くし神とも頼む信長が、本能寺の変で明智光秀に弑逆(しいぎゃく)されてからである。

 弔い合戦の山崎の戦いには、北陸戦線に釘付けになって間に合わなかった。織田家の後継をめぐる清洲会議では、織田家の三男・信孝を推す勝家は、3歳でしかなかった信長の孫の三法師を戴く秀吉に押し切られた。

 秀吉がいつから天下掌握の野望を抱いたかはわからないが、幼い三法師を総帥にまつりあげた時点で、その意欲は明白となった。

 織田家の天下を守ることに総力を挙げる勝家は、秀吉排除に動くしか選択肢はなかった。

 秀吉と勝家。同じく信長に忠勤を尽くした二人だが、信長亡きあと、野望を持った攻めと、織田家護持という守りでは、そのベクトルは正反対となった。

 

 時代の流れを読めなければ敗れる

 信長の死から10か月後、勝家と秀吉は北近江の賤ヶ岳(しずがたけ)で激突する。秀吉の知略もあって勝家は敗れる。

 兵力、知略では勝家は秀吉に遅れるところはない。差があったとすれば、勝家の頭は、戦国の武将としての「忠義」に縛られていたが、秀吉には、個人的な野望に加え、「天下統一」による新しい世の創成をできるのは、自分しかいないという、時代の変わり目を読む目と自負であった。

 敗れた勝家は、領地である北庄の城に戻り、戦いで功のあったものを賞し、悠然と腹を掻き切って死んだ。

 

(書き手)宇惠一郎 ueichi@nifty.com

※参考文献
『「戦国大名」失敗の研究』瀧澤中著  P H P文庫
『政治とは何か 竹下登回顧録』竹下登著 講談社
『名将言行録(現代語訳)』岡谷繁実著 講談社学術文庫

講師紹介

宇惠一郎(元読売新聞東京本社国際部編集委員)

 早稲田大学卒業後、商社を経て、1978年読売新聞社入社。社会部、外報部、95~98年ソウル支局長。帰国後、解説部次長、2007年編集委員。2011年4月〜2012年8月ソウル支局長(専任部長)、2012年9月編集委員、現在フリージャーナリストとして活躍している。 ※主な著書と受賞歴 「20XX年地方都市はど...>もっと見る

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